場の空気

踊る大捜査線2」ではリーダーのいない組織というものが出てきました。「新しい形態の組織かも…」と映画の中で誰かが言ってましたが…、はて?そんなのありふれていると思うんだけれど。


場の空気、ってやつがありますよね。明確なリーダーがいなくても、場の空気を察して各員が適宜行動をする。映画の犯人グループがやっていることって、この程度の普通のことだと思うけれど。


場の空気って発想は凄く日本人的なんですよね。2ちゃんねるでも「空気嫁」ってどこでも言われるし。「世間」って言葉も場の空気の一種です。日本人は場の空気を常に気にしながらコミュニケートしますよね。


それは言葉の問題も同じ。日本語で主語の省略と呼ばれるものが多いのは、場の空気で理解できるからです。アメリカ人に「何で主語を言わないんだ?」と言われりゃ、日本人は「空気読めよ。分かるだろ?誰が主語かなんて」と答えるしかない。

言葉の領域では、場の空気は「文脈」と言い換えることもできますね。これ、日本語プログラム言語に何とか取り入れられないかなぁ。文脈を使ってプログラムを記述できれば、自然な日本語になると思うんだけれど…。