あさがおに つるべ取られて もらい水

しばらく実家暮らしをしてました。中学生の頃に生活していた部屋の本棚にはブラックジャックがあったので、つい読みふけっていました。

その中の1つのお話が「もらい水」。手瀬間病院の病室内に、院長の母親であるおばあさんが生活をしているのですが、患者が入院するたびに外泊を余儀なくされます。ブラックジャックはそんなおばあさんの様子を見て、「あさがおに〜」の俳句を思い出します。紆余曲折あって大けがをしたおばあさんを抱きかかえながら「私なら母親の値段は100億付けたって安い物ですがね」という台詞で終わる話です。


ところでこの「あさがおに〜」の俳句の意味、初めてこの話を読んだ中学生の時はもちろん、今でも分かりませんでした。調べてみると、こんな意味だそうな。

あさがおに つるべとられて もらい水 (加賀千代)
朝、井戸に水をくみに来てみると、朝顔のつるがつるべに巻きついていて水がくめない。切ってしまうのもかわいそうなので、近所に水をもらいに行くことにした。 
「つるべ」=つなの先におけを取りつけて、水をくむようにしたもの。季語:朝顔(秋)

・・・ふむ。

こんな説明を読んでもなかなか実感が湧きません。まあ意味は分かったので良かった良かった。そしてまた忘れていく知識になるのでしょう。

・・・・・・・・・と思っていたのですが。




先日、また湘南台に戻ってきました。久しぶりに洗濯機を回し、洗濯物が満載のカゴを持ってベランダのガラス戸をがらりと開けてみたら、こんな光景が目に飛び込んできました。


なるほど、あの俳句はこれを歌ったのか。物干し台にツルが絡みついているために、洗濯物が一部干せなくなっているんです。それにこの写真だと分からないんですが、細かくて赤い綺麗な花がたくさん咲いていて、引き剥がすには忍びない。


加賀千代の俳句を拝借して、一句。

あさがおに ものほし取られて 室内干し