おトイレ

SqueakFestに参加させていただいております。色々と新しい物を見たり新鮮な議論をしたり情報をゲットしたりして楽しんでいるのですが、何となくどうでもいいことを書いてみたくなる。



こんにちは。トイレ研究家の岡田です。

突然なにを書き出すんだこのアホはとお思いのことでしょうが、私の古くてディープな友人は、私が如何にトイレについて深い考察を重ねているかを知っています。

私は過敏性大腸症候群の気があるため、もともとおトイレが非常に近い。そして電車を使って登校していた高校生の頃は、私の尊厳を賭けた1つの問いが常に私の頭の中にありました。

「・・・トイレはどこだ。」

如何なる時・如何なる状況においても、この問いに迅速に答えを出すべく私の脳みそは最適化され、自然とトイレDBが形成されていきました。私が使っていた常磐線新京成線全駅のトイレ位置は把握してましたし、主要駅は駅周辺のトイレ位置も把握してました。マクドナルドや普通のビルなど、トイレがある場所はどこでも把握してやるという気迫に満ちあふれていました。


こうして私はトイレ博士(博士論文「トイレ待ちの精神分析〜我慢と狂気の狭間〜」)になったわけですが、様々な土地や建物のトイレに入っていると気が付くことがあります。トイレとはその会社や集団のモラルや文化を表すのです。良い企業やお店は、広くて清潔なトイレを持っています。これは間違いない。

だから私は仮に「今度○×という会社の内定を貰ったんだけれど、どうですかね。あの会社、いい会社だと思います?」と後輩から相談されたら、私は間違いなくその会社のトイレに行って用をたしてきます(幸いにしてそういう相談を受けたことはないのですが)。

私は死ぬまでに一度、皇居のトイレで用をたすことは出来ないものか、などと考えることがあります。さぞや華麗すぎず、質素すぎず、されど気品に満ちあふれたトイレが待っていることでしょう。うーむ、男の夢だね。



前置きが長くなりました。私は今アメリカのシカゴにいます。であれば私は何をするべきか。


・・・トイレに行くでしょう。行かいでか。


というわけで用をたして、ついでに写真を撮ってきました。



アメリカ人は何でこんな不必要に広いトイレが必要なんだ!車いすの人のためにしても広すぎる!

日本には「一所懸命」という言葉があります。武士はひとところ(一所)の土地を、命を賭けて守る。元寇を前にした鎌倉武士の決意が伝わる良い言葉だと思います。土地とは命のことなのです。

そ、そ、その土地を…、あ、あ、アメリカ人は…、と、と、トイレなどに無駄に使いやがって…。武士を馬鹿にしているのかぁ!!!叩っ切ってやる!!!




(本日の日記は全て冗談であります。アメリカ人に敵意などありません。でも何のためにあんなにでかいトイレが必要なのか、誰か教えてほしい。車椅子の方や力士でもあんなスペースは必要ないと思う)