心の中の少数派

ブログを書いていたら、私の心の中にたくさんいる少数派が見つかったというお話。


匿名ブログではこんな書き方をしていました。毎日夜が来るとブラウザを開き、ブログのページを開き、編集ページを開きます。この時点で何を書こうかなんて何も考えていません。

とりあえず、キーボードをたたき始める。そうすると自分の考えが少しずつ漏れ出てくる。その日に感じたこと考えたことの尻尾を掴み、それを文章で再構成してさらけ出す。

これをやると文章の質ははっきり言って落ちますけど、その代わり色んなことを考える。考えたこともなかったことがどんどんぽろぽろと漏れてくる。書き終わって「あーそーだったのかー」と感動することも少なくありませんでした。

その結果として、自分の中で抑圧されていた色んな人格が発見できるんです。例えば私は匿名ブログを書くようになってから、萌えアニメを嗜むようになり、ゲーム音楽がより好きになりました。マニアックな漫画もぽんぽん買うようになりました。

こうしたものが好きな自分が心の中にいる。だけどそういった自分は抑圧されていて、表面に出て来ないんですね。やっぱいい年した大人が恥ずかしいじゃないですか、萌えアニメとか漫画なんて。

だけどそういう自分を抑圧すると、どこかしら心のバランスを失い始めるものです。こちらのブログでそれが凄く上手く説明されています。「人間の心とは、日々行いを決めるために議論を交わしている講堂の如きものだ」という例えは凄く面白い。
http://jogjob.exblog.jp/m2006-04-01/#3778791

私の匿名ブログは、普段発言の機会を与えられていない少数派が、堂々と講堂の中心で意見を表明することが出来る貴重な場だったようです。そのおかげで少数派の尊厳も認められ、講堂は全体的に平和になっていったと思う。

だけどもう一歩前へ。匿名ブログは所詮、匿名で語るのみです。発言は自分の名前を付けて表明した方が、心の中に巣くう少数派も尊厳が認められて嬉しいよね。