時をかける少女(アニメ版)

風邪は一晩寝たら治ったので、もう一度「時をかける少女」を見に行きました。このために昨日は原田知世版「時をかける少女」を見ておいたのです。


両者を比較すると面白いですね。原田知世版が20年前の作品ですが、20年間の間に女性の描き方が劇的に変わっているのが分かります。

原田知世が演じた芳山和子は、凄くおしとやかで、礼儀正しくて、今の感覚ではまるでお嬢様のような女の子。タイムリープの手段はラベンダーの香りを嗅ぐこと。なんともまあ可愛らしいというか、乙女チックというか。

芳山和子はクライマックスで、愛する男性に「いつまでも待っている」と告げます。また再会出来るかどうかも分からない、再会しても覚えていないにもかかわらず、それでも「待つ」と。

当時は「原田知世が可愛い」という評価が多かったらしいですから、20年前の理想の女性の姿だったのかもしれませんね。




翻って21世紀の「時をかける少女」の主人公である紺野真琴は、芳山和子と比べると凄く活動的で感情豊かな女性として描かれています。

言葉使いはけっこう粗く、男友達と遊ぶのは野球。タイムリープの手段は、ダッシュ&ジャンプをして、ゴミ箱や壁やドアに激突しまくり。野球ボールや目覚まし時計が顔面にぶつかり痛そうな音がする(ほんとに痛そうなんだ、これが)。原田知世が持つおしとやかさなんて、微塵もない(笑)。

感情表現も大きく変わりました。芳山和子は慎み深いですが、紺野真琴はもう笑いまくり悲しみまくり、喜怒哀楽がはっきりしている。物語終盤で紺野真琴が見せる「のび太泣き」は圧巻。見事なくらいわんわん泣く。

そして物語終盤、紺野真琴は未来をただ待つのではなくて、自分から行動する。「待ってられない未来がある」というキャッチフレーズの通り、自分から未来を作り出そうとするエネルギッシュな女性として描かれているのです。これも原田知世の芳山和子とは大違い。



この20年の女性像の変化を実感しますね。そして紺野真琴という女の子が現代の理想の女性像として受け入れられていることが、この作品の大ヒットの理由の1つなのでしょう。そして芳山和子もまた、20年前には然りだったのかも。

しかしこんなことを書いてもこの作品の魅力には全く迫れないことがむずがゆいなぁ(笑)。